古墳時代
弥生時代に続き,大和朝廷が日本国家の統一をなした3世紀後半―7世紀の時代。多くの大型古墳が造られたことは,鉄器の普及と農耕生産の向上に伴い社会的身分の差が生じたことを意味するとされる。この時代は国家的統一の進行につれ,その統治機構,文化内容に変化が認められるため,ふつう前?中?後期の3期に分けられる。前期の古墳は山稜上に位置し,形態は円墳と低く細い前方部をもつ前方後円墳で,畿内に集中している。副葬品には宗教的?呪術的色彩の濃いものが多く,鉄製農工具もみられる。このことは被葬者が共同体の司祭者的存在に近く,同時に生産機能の集中的体現者でもあったことを示している。中期になると古墳は平野に移り,仁徳陵などにみられる2重3重の濠をもつ大古墳が出現。副葬品は武器,武具,馬具,金?銀の工芸品などの石製模造品となり,被葬者が司祭者から政治的支配者に変わったことがうかがえる。後期には古墳が山の斜面にも作られるようになり,規模は総体的に縮小したが,数は増加した。また主体部が従来の竪穴式石室から大陸風の横穴式に変わり,多人数を合葬したものが出現。これらは被葬者がごく少数の支配者のみならず,大陸文化の影響で生じた官僚階級に広がったことを意味するものと思われる。したがって権威の象徴としての側面をもつ古墳は存在価値が薄れ,仏教思想の普及もあって次第に消滅した。
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